That's me,too.

京都出身、東京都狛江市在住の社会人19年目。2児の父。

備忘録。

地震時は東京の会社にいたけど、ケガ等もなく幸い通常時の生活をできています。
以下は自分の周りでの記録。


社内のデスクで、パソコンに向かって書類を作っている最中に軽い揺れを感じる。
つい数日前にも会議中に地震があり、その時は部長が「ドアを開けろ!」と言っていたのを思い出す。
今回も大丈夫やろうけど一応出口を確保しとくかと、軽い気持ちで席を立つ。
部屋のドアを開けたけど、揺れは全然収まる気配が無い。
むしろ増幅してくる。
近くの窓際にいた後輩に、念のために窓も開けるように伝えて、自分は上階の試作室へ。
ここは火を使っている。
試作室へ着くと、いよいよ揺れが本格的になってきた。
建物の最上層のためか、横揺れがひどい。
天井から蛍光灯カバーが落ち、棚からは色んなものも床に散乱していく。
自分は倒れそうになる冷蔵庫や他のものを、押さえようとすることだけに必死。
そのことに集中していたからか、人生で一番大きな地震も関わらず、不思議と身の危険は全く感じてなかった。
社長が「この建物は頑丈だ」と、常々言ってたからかな。
・・・多分、本格的な揺れは1分くらい続く。

それが止むと、一旦4階に戻る。
テレビ等が棚から落下してるけど、大きな被害な無さそう。
一旦、外に避難しようということになる。
あまり外に出ていても余震で物が落ちてくることもあると、気持ちが落ち着いた頃に社内に戻る。
この時はもうエレベーターが停止していて、復旧依頼の電話も繋がらなかった。
1時間くらいしてから、部屋の後片付けが始まる。
試作室は大きな作業台が動いたり、酒ビンが割れて散乱したりしていた。
夕方16時半頃から、帰宅できる人は明るいうちに帰ろうという話になる。
電車は全て不通になっていたから、同じ方向の人でまとまって徒歩やタクシーで帰宅することに。
自分は、比較的家が近いし、転勤までにやらなきゃいけない仕事もあるので、まだ残る。
でもテレビに映し出される映像にショックを受けて、あまり仕事ははかどらない。
歩いても帰れない人は、会社に泊まることに。
裏通りにある近所のコンビニに、食料の買出しに行く。
表通りのコンビニは、もう全然食料などが無いらしい。
自分もパスタを買って食べ、徒歩の帰宅に備える。
19時半ごろ、会社を出発。
月に1回くらいは徒歩で帰宅してたから、幸い苦痛は感じない。
通りに出ると、歩道を歩く人の列。
一部はその歩道も閉鎖されて、ガラスの処理をしていた。
どうやら沿道のビルから、落下して割れた様子。
渋谷に着くと、尋常じゃない人の数。
バス停には人の列、公衆電話にも人の列、マクドにも列。
交番では、各方面別に道路の説明をしている。
国道246号線は、歩道から人が溢れる程の歩行者。
いつも同じ道を歩いているだけに、余計非日常性を感じる。
車道にも車がいっぱいで、ほとんど動いていない。
バスに乗ってる人もいるけど、残念ながら歩いた方が速そう。
沿道の飲食店も、お客さんでいっぱい。
他には、ハイヒールが壊れてスリッパのようなものを買っている女性も目にした。
二子玉川を超え、神奈川県に入る。
神奈川県内は停電の情報も耳にしていたけど、電気は通常通りな様子。
溝の口駅前に停めてある自転車にまたがり、我が家に到着したのは22時半。
幸い我が家のライフラインは全て復旧済みだったけど、通りの向こうには暗闇が広がっている。
暗いことが怖いと、久しぶりに感じた。


テレビやネットで情報を得るにつれ、ありえない規模の災害だということが分かってきている。
でも利己的な性格のせいか、自分が痛い目に遭っていないから実感が弱いことに罪悪感。
それでも被災地の人に何かしたい。
そして、今度こんな震災に見舞われた時は自分や周りの人達を助けられるように、しっかり今回の教訓を忘れないようにしたい。